茂田井武 年譜
1908年 M41 0歳 9月29日、東京の日本橋に茂田井啓三郎・和歌の次男として生まれる。 生家は「越喜」という都内でも有数の旅館であった。
1921年 T10 13歳 常盤小学校卒業。赤坂中学校入学。放課後友人宅の2階に住んでいた佐藤春夫の下宿に足繁く通い、そこで稲垣足穂とも出会う。
1923年 T12 15歳 関東大震災により生家が全焼。療養中の母の病状が悪化し、2年後に亡くなる。
1926年 T15 18歳 赤坂中学校卒業。美術学校入学準備のため、太平洋画会研究所に通う
1927年 S2 19歳 父が再婚。入試の失敗、家庭環境の変化などが重なり、精神的に不安定となる。川端画学校、本郷絵画研究所へと移り、傍らアテネフランセに通う。そこで中原中也と知り合う。
1930年 S5 22歳 写生旅行と称し、博多から京城へ渡り、ハルピンからシベリア鉄道でパリへ向かう。パリ17区の日本人会の食堂部で働きながら、独学で絵を描く。山本夏彦と知り合う。
*画帳『ton paris』(1930-33)
1932年 S7 24歳 ジュネーヴへ長期出張。
*画帳『続・白い十字架』(32頃-35)『Parisの破片』(32頃-35頃)
1933年 S8 25歳 パリを離れ、ベルギーへ行く。手違いでパスポートを取り上げられ、ロンドンを経て強制送還。帰国後は、30近くの職種を転々とする。
1935年 S10 27歳 病気の兄に代わって鬼怒川温泉の番頭になるが、兄が病没。探偵小説雑誌『新青年』に挿絵(「かひやぐら物語」横溝正史文)を描き、最初の画料を得る。暮れに旅館を退職して帰京。
1936年 S11 28歳 「二十世紀鐡仮面」(小栗虫太郎文)など、独特の画風の挿絵で注目を受ける。小栗虫太郎宅に寄宿(翌年まで)。
1937年 S12 29歳 吉田貫三郎、坪内節太郎、高井貞二、三好悌吉らの「新挿絵」の会に参加、第2回展に出品(以後第3回、4回にも出品)。
1940年 S15 32歳 出版統制となり、雑誌が統合され仕事が限定される。5月、南支派遣軍報道部の嘱託になり、清水崑らの後任として広東に渡る。
*画帳『退屈画帳』(37頃‐40)『無精画帳』(38頃‐40)
1941年 S16 33歳 1月、任期を終えて帰国。初めての児童向き絵本『ナニナニ_本』を出版。
1942年 S17 34歳 10月、三好悌吉の媒酌で鵜飼政子と結婚。児童画展などを見て、この頃より絵本・童画の勉強に本格的に取り組む。
*絵本『アシナミソロエテ』『センチのガン』
1943年 S18 35歳 11月、山本夏彦の紹介で美術出版の求龍堂に勤務。12月、長女・真弓誕生。
*絵本『カイグンノヲジサン』『ニッポンノアシオト』
1944年 S19 36歳 2月、求龍堂を退社。6月、徴用で立川の中島飛行機に入社。8月、北 支派遣軍に召集され入隊。
*画帳『古い旅の絵本』絵本『オホワシタイジ』『ボクノウミ』。
1945年 S20 37歳 東京大空襲で画帳、スケッチなどの多くを焼失。両親・妻子は宮城県に疎開。北支、中支を経て北京で終戦を迎える。
1946年 S21 38歳 1月、復員。出版の自由化とともに挿絵の仕事を少しずつ再開。自由な題材の作品も精力的に描く。5月、父病没。9月、日本童画会に入会。
*画帳『幼年画集氤。』(未完)『シネマトグラフの影響』(未完)『はたらくコドモタチ』手作り絵本『巴里の子供』絵本『パリーノコドモ』
1947年 S22 39歳 1月、同居の義兄が失踪し、姉親子の生活も援助する。4月、第1回童画会展出品(以後51年まで毎年出品)。長男・泉誕生。児童雑誌の全盛期となり、月刊誌だけでも十数誌を手がける。紀伊国屋画廊で水彩小品の個展を開催。
*画帳『幼年画集』手作り絵本『アサ ノドウブツエン』絵本『ブリキノキンチャン』『くまの子』『こどもでんしゃ』『エバナシ・フシギナコドモタチ』など
1948年 S23 40歳 『長編絵物語・三百六十五日の珍旅行』を出版。
*絵本『あひるのぼうや』『あたらしい船』『おさるのしゃしんや』『電氣スケート』
1949年 S24 41歳 3月、次女・暦誕生。
*単行本『ねずみ花火』
1950年 S25 42歳 明治製菓宣伝部の嘱託となり広告を手がける(55年まで)。疲労や喘息が次第にひどくなり、飲酒量が増える。
*『すごろくえほん・どうぶつのうんどう会』
1951年 S26 43歳 童画家としての評価が高まる。
*絵本『花の画帳』(共著)単行本『岩波少年文庫・グリム童話選(上)』(中・下巻は52年)
1952年 S27 44歳 持病の気管支喘息と肺結核が悪化し闘病生活に入るが、病床で仕事を続けた。
1953年 S28 45歳 新制作展への出品依頼を「額縁絵描きではないから」と断る。その後も公募団体展には一度も出品しなかった。
1954年 S29 46歳 小学館児童文化賞児童絵画賞を受賞(絵雑誌『キンダーブック』に発表の作品に対して)。賞金全額を童画会に寄付しようとして説得され、半額を寄付。その基金により57年「茂田井武記念賞」が制定された。
*単行本『月夜とめがね』
1956年 S31 48歳 3月『セロひきのゴーシュ』を描き上げる。『キンダーブック』や単行本の仕事を10月下旬までし続けた。11月2日死去。日本童画会葬( 葬儀委員長・武井武雄)。
*単行本『ジャータカ物語』
     
*は主な画帳・絵本など。
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Illustrations © Koyomi GOTO Text © Yukiko M. HIROMATSU